「花もわたしを知らない」

花と写真の学習帳

筵機(むしろばた)

念願のムシロ機に出会うことができました。
場所は、七尾市中島町の室木家の米蔵を民俗資料展示室として修復した土蔵で、民俗資料展示施設としては比較的新しいものです。
不要となった農機具は農家の納屋や土蔵に残っていることが多いのですが、ムシロ機は農機具としては大きなもので、場所をとるためほとんど残っていません。私の実家でも分解して捨ててしまい、金属の部分のみが残っています。今まであちこちの博物館や民俗資料館へ足を運びましたが足踏み式の筵機を見たのは初めてです。
展示室内の写真での説明でもありましたが、筵は能登半島の南部である羽咋郡や鹿島郡の主要な生産品で、七尾港からニシン漁が盛んな北海道の各地に出荷されてきました。
「建筵」の積込みの様子 (昭和初期の七尾港)
【「七尾筵」積込の様子 昭和初期】
(「七尾港」、昭和12年版、七尾町役場発行)

北海道で大量に捕れたニシンは肥料の鰊粕(〆粕)として本州各地に出荷されました。この鰊粕は粉末であったために梱包用資材として通常の筵より大きくて緻密に織り上げられた「建筵」と呼ばれる専用のものが使用されていました。
鰊粕俵詰め作業(余市鰊漁場)
函館市中央図書館デジタル資料館
(余市鰊漁場) 鰊粕俵詰め (pc002303-012)

この「建筵」の主要な生産地が石川県の七尾市近郊だったわけです。
大正10年の鹿島郡の「建筵」の生産額は307,311束(1束=10枚) 売上高614,622円に上ります。これは生産者の1戸平均平均42.5束(425枚)84円となります。月給が30円ほどの時代ですから、農家の副業としてはかなりの収入になったようです。

そもそも農家にとって筵は穀物を干したり、包んだり、敷いたりする為の自家消費の用具であったのですが、能登の七尾市近郊では、北海道のニシンの大漁により大量の「建筵」が必要となり、効率よく製造する必要がでてきました。従来のように筬木を操作して二人がかりで作っていたのでは手間がかかりすぎてもうけになりません。そこで農家の副業として婦人が一人ででも製造できるようにと開発された足踏み式の筵機が使われるようになったのです。
北海道のニシン漁は戦後数年で不漁となり、鰊を肥料にすることもなくなり、肥料は化学肥料となりました。
七尾市近郊でしか見られなかった「建筵」の足踏み式筵機もニシンの不漁とともに使われなくなり、居場所がなくなって殆どが廃棄されてしまったようです。



↓筵機(正面から撮影) 着物の機織り機(高機)を縦にしたと考えれば分かりやすいです。
筵機-1601

↓筵機(正面左側から撮影) 高機(たかばた)の踏み木は綜絖(そうこう)を上下するものですが、筵機はシャトルと筬(おさ)を動かすものです。
筵機-1602

↓筵機(正面右側から撮影)
筵機-1603

↓筵機(裏から撮影)
潤滑用の油が木に浸み込んだ部分が黒くなっています。
筵機-1604

↓「建筵」を織っている様子。顔の高さの位置にあるのが綜絖(そうこう)部分、胸のあたりの高さにある、下の鉄棒(機織り機でいうところの千巻のロット棒)と上の鉄棒(機織り機でいうところの筬)に挟まれている部分が織り込まれた藁です。
筵機-1605

↓織機の主要機構、上から縦縄を交互に出し入れする綜絖、横方向に藁を通す為の竹の棒、織った藁を締める筬、筵の下端となる縦の細縄を引っ掛ける鉄の棒。藁を通す為の竹の棒の本来の位置は、綜絖で前後に分けられた縦縄の間で、筬が上がっている時に藁を通し、筬が降りる時には機の左側に出ている必要があります。
筵機-1606

↓足踏み式の織機です。左足で横方向に藁を通す竹の棒を動かします。踏むと左から右へと竹の棒が縦縄の間に入ってきます。足を離すとバネの力で竹の棒は左へ戻ります。
筵機-1607

↓シャトル代わりの竹の棒は、綜絖で前後に分けられた縦縄の間を通るのですが、ここでは展示の為縦縄の外にあります。
筵機-1608

↓写真左中央に写っている黒い棒はシャトル代わりの竹の棒を戻すための長いバネです。
筵機-1609

↓右足で踏むとリンクや梃を通して筬枠が上に上がります。
筵機-1610

↓踏木を踏むとリンクがテコを引き、テコの右端(裏から見て)が下がります。
筵機-1611

↓テコに取り付けられているリンク(太い鉄線)が下がると織機上部のシーソーの右を引きます。
筵機-1612

↓織機上部のシーソーの右が引かれると左が上がってリンクしている筬枠が持ち上がります。
筵機-1613

↓筬枠は位置がずれないように機の両側と上部が金具でガイドでされています。Yの字に見えるのがガイドです。
筵機-1614

↓機枠の間に見えるのが筬枠です。後ろの機枠の鉄棒でガイドされています。
筵機-1615

↓写真中央に左から右に通っている油が浸み込んで黒くなった角棒が左右に回転すると角棒の左右の先端についている金具によって綜絖が交互に前後します。筬枠の下部に付けられている富士山の様な形をした黒い木型の左右の稜線には皮が貼ってあって、筬枠が上下するたびに木型が左右に傾き、角棒の下部に付けてある鉄の棒が山の左の稜線を滑ると右に回転し、右の稜線を滑ると左に回転する仕組みで2本の綜絖が交互に入れ替わるのです。
筵機-1616

テーマ:日本の産業遺産 - ジャンル:写真

  1. 2016/04/26(火) 18:53:00|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

需要

沢山のむしろが 必要で 発明されたのでしょうね。織物のように 
織っていますね。私の 記憶にあるのは 座って おもりを前後にやって 
編むやり方です。夜なべにしていたような・・・7歳の冬までしか 
いなかった父の家です。非常に懐かしいです 執念をもって探した 
おるどごんさんに 拍手ですv-424
  1. 2016/05/01(日) 11:53:20 |
  2. URL |
  3. 小紋 #-
  4. [ 編集 ]

小紋さん
こんばんは。

ムシロの織り方とか織機に関して2,3年研究v-8しました。おかげで織物についてはかなりの知識が得られました。着物も織ってみたいとも思っております(冗談ですv-8)。
小紋さんの記憶にあるおもりを前後にやって編むやり方は、筵ではなく俵だと思います。わたしはその織り方で「外すだれ」を作ろうと重りを10数個骨董店で買い、河原の荻を刈り貯めて準備してあります。生きている間になんとか作ってみたいと思っております。v-8
  1. 2016/05/01(日) 23:24:12 |
  2. URL |
  3. おるごどん #-
  4. [ 編集 ]

そうなんだ

 俵ですか のうかです 米をね。
 早く編んで アップしてください
 私が生きてしっかりしている間にね。
  1. 2016/05/02(月) 09:07:41 |
  2. URL |
  3. 小紋 #-
  4. [ 編集 ]

Re: そうなんだ

小紋さん おはようございます。

>  私が生きてしっかりしている間にね。

そうですね、元気に生きるということが肝心ですね。
これだけはなんの補償もないんですね。
明日は野辺の煙かもね~
  1. 2016/05/02(月) 11:59:32 |
  2. URL |
  3. おるごどん #-
  4. [ 編集 ]

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